心静かに聴きたい美しい歌の数々~チャーリー・ヘイデンの「白鳥の歌」
Charlie Haden 「Last Dance」(2014)
ジャズ・ベーシストにして、世界平和への探求者であったチャーリー・ヘイデンが、7月11日に永眠しました。
その死はこの“Last Dance”の発表から、既に予感されていました。タイトルもそうですが、選曲も、数年前に出た作品“Jasmine”と同日録音から、わざわざ“Goodbye”のアウトテイクを選んでいます。これはベニー・グッドマンが、ライブのエンディングに必ず演奏していた曲。プロデューサーのアイヒャーは、当時ベトナム戦争に反対しリベレーション・ミュージック・オーケストラ(以下LMO)を旗揚げしたデビュー直後のヘイデンに、大手のレコード会社が遠慮する中、積極的に自身のECMレーベルに録音の場を与えた人物です。さらに共演者はデビュー当時からヘイデンがバンドに引入れ、その後も数多くの共演を果たしているキース・ジャレット。彼らには、もう長くはないことを悟っての作品リリースだったに違いありません。
内容は前作同様、良く知られたスタンダード曲を通して、あたたかく語り合う二人の親密な会話です。そこには、かつて前衛と言われた面影はなく、淡々と訥々と時が流れていきます。しかし、音と音の合間から、溢れるようなあたたかな想いが、とめどなく流れ込んできます。これを枯れた音楽というのは簡単です。しかし、ここまで何気ないのに、静かに心を揺さぶられ続ける演奏というのは、めったにありません。誰がなんと言おうと、一生聴き続ける名盤が一つ加わったと言えます。もう言葉はいりません。ただひたすら浸っていたいです。
もう少し、私の思い出話にお付き合いください。
思えばヘイデンの一生は、戦い続けた生涯でした。アメリカ政府がエゴに染まりきった戦争をするたびに、暴力ではなくジャズをもって戦争のない平和な世の実現を訴えました。冷戦直下で他国での代理戦争を続けるアメリカ、結局正義はそこになかった湾岸戦争、そして、9.11からテロへの制裁を掲げて無益な戦争へと突き進んだアメリカ。
そのたびに、当時の若手実力派がLMOとして集い、当時軽んじられていたラテン音楽の魂をもって、燃え盛るように情熱的なジャズを演奏し続けました。2000年前後には、その想いは「世界の人々の共存」へと変わり、あたたかでやわらかな旋律を歌い上げるようになりました。このコラムの記念すべき第1回でご紹介した、“Land Of The Sun”はまさにこの時期の代表作です。また、デュオの名手でもあり、共演作も前衛からポップスまで実に多彩。数多くの名盤を世に残しました。
私は幸運にも5年ほど前に、最後の来日ライブを聴くことができました。連日ジャズクラブに通いつめ、息を潜めてその音楽に聴き入りました。リラックスしたスタンダードの数々はとても楽しかったのですが、どこか覇気のない演奏に物足りなさも感じていました。しかし、思いもかけない衝撃を受けることとなりました。最終日のアンコールで、自身の名曲“First Song”を演奏した時でした。少し早目にテーマを演奏した直後、ぐいっと前のめりになって力を振り絞るように繰り出した一音の深み…全身鳥肌が立ち、身動きができなくなりました。間違いなく、LMOから続く彼の熱い想いがそこに込められていました。
ライブの後、「LMOはやらないのですか?」と聞いてみました。すると、少し寂しそうに、でも茶目っ気たっぷりに微笑んで「また戦争があったらね」と。あの表情が今も忘れられません。その時にはもう、耳がよく聞こえなくなり、体調も優れなかったと後から聞きました。
もう二度とライブが聴けない、もう会えないと思うと非常に悲しいです。しかし、ヘイデンの魂は、これからも彼の残した数多くの作品の中で輝き続け、聴く者の心を揺さぶり続けるに違いありません。
(文:S. Nakamori)
もっと聴いてみよう!チャーリー・ヘイデン Part II