美しくも儚い桜のように咲き誇り、ジャズと女に愛されたピアニスト。
Michel Petrucciani 「情熱のピアニズム」(2012)
今回はDVDで、私がジャズを聴き始めるきっかけとなったミシェル・ペトルチアーニというピアニストのドキュメンタリー映画です。彼は通称「ガラスの骨病」という難病にかかり、全身の骨がバラバラの状態でこの世に誕生したそうです。医者には「20歳まで絶対に生きられない」と宣告されました。病床に伏す日々の中で、ふとテレビから流れてきた、デューク・エリントン楽団というジャズオーケストラの演奏が、彼の眠れるジャズへの情熱を呼び起こしたのです。父親もジャズギタリストで、厳格な教育の成果もあり、メキメキと力を伸ばしたペトルチアーニは、フランスで知られる存在となります。そのデビュー当時のほとばしるような演奏を捉えた作品が「Michel Petrucciani Trio」(1981年・下のアルバム左)です。当時のフランスジャズ若手を代表するメンバーによる超絶的な演奏は、今聴いても十分衝撃的です。ペトルチアーニの打鍵はこの上なく力強く、澄み切っており、そしてなにより熱いのです。煮えたぎるようなピアノにベースが地鳴りを立てて突進し、轟くドラムとせめぎ合う様は圧巻です。この作品は、是非ともレコードでお聴きいただきたいです。バンカ(ジャズ喫茶)でリクエストして、是非聴いてみてください。演奏と音の凄まじさに思わずのけぞること必至です。
その後、飛ぶ鳥を落とす勢いのペトルチアーニは、ジャズの本場NYへ渡ります。演奏はますます凄まじく、そして華やかに花開いていきます。同時に、多くの女性たちに愛されます。「初めて会った日に、その夜のパーティーで『妻だ』と紹介されたわ」との驚きの証言や、またある女性は「結婚後、演奏に出かけたまま、私のところに帰ってこなかったの」と苦笑しつつのコメント。別の恋人からは「寝ている時も私をピアノだと思って弾くのよ!」と、なんともまあ、お盛んなことです。うらやましい…じゃなくて、そう語る女性たちのまばゆい笑顔ったらありません。女は強し、とも言えます。その超絶的な演奏と同じく、私生活もぶっ飛んでいたようです。でも、常にユーモアに溢れ、周りを喜ばせて、自分も人生を謳歌していた様子がここには描かれています。その奔放さが多くの女性の心をつかんだのでしょう。
挿入される演奏は、どれも凄まじいです。普通の人でも手が壊れるのではないか!というほどの力強い打鍵、思わず手に汗握るスリリングな展開。
小さな体を傾げて、大きなピアノ全体を鳴らしきる演奏には、胸が熱くなります。いや、障害があるから、とかそんなちっぽけなことではないのです。健常者だって、こんな演奏をする人は未だかつて一人もいません。誰にも似ていないのです。障害者なのに凄い、ではなく、ペトルチアーニだから凄いのです。ジャズの世界に「障害者」はいないのです。ただ、いい奏者とそうでない奏者がいるだけなんです。
NYでの日々は充実していましたが、常に火花を散らすような生活に少々疲れたようです。その後故郷フランスに帰り、好きなミュージシャンと好きなやり方で数々の共演をしています。オルガンのエディー・ルイスとのデュオや、大好きなドラマーのトニー・ウィリアムスとの共演など、いくつもの伸び伸びとした素晴らしい録音を残しています。その宝物のような作品の中で私が最も好きなのは、当時御年87歳のバイオリニスト、ステファン・グラッペリとの共演盤「Flamingo」(1995年・下のアルバム真ん中)。パリらしい洒落た選曲も、艶やかなバイオリンの音色も、弾むようなピアノの音色も、あたたかな雰囲気も、全てが最高です。
また幸いなことに、最晩年の来日時の演奏を捉えた録音が残っています。「ライブ・アット・ブルーノート東京」(1997年・下のアルバム右)です。ここでのペトルチアーニは、ほとんど心だけで演奏しています。冒頭の伸びやかな響きの、空へ舞い上がる愉悦。どこまでも続くトレモロが、彼の永遠への願いを表しているようです。チェロのようにあたたかく響くエレキベース、引き締まったドラムも一体となって見事な演奏を聴かせます。彼が亡くなったのは、1999年1月6日。まさに再び来日する直前に、37年の短い人生の幕を閉じました。
彼のジャズへの果てしない愛は、今もこの映画や数々の作品の中に脈々と流れています。「生きるって楽しいぞ!最高だぞ!」彼の演奏の隙間から、そんな声が聴こえてきそうです。この映画を見ていると、自分も「まだまだやれる!」と元気をもらえるように感じます。一人でも多くの人にこの映画を見てもらいたい、心からそう思います。
(文:S. Nakamori)
もっと聴いてみよう!ミシェル・ペトルチアーニ